130年を超える歴史を受け継ぎ、
時代の変化に柔軟に対応できる価値創造を
津ノ国屋の由来は、初代・横山末太郎が摂津の国(大阪北部)の出身であった事に由来します。
開港直後、大きく発展する横浜の町に目をつけてこの地に材木店を開業。以来、横浜の町に育てられ130年以上の歴史を刻んで参りました。
現在、津ノ国屋材木店が目指しているのは、ただの材木店ではありません。木材を通して多くの人々を幸せにすること。これまでの信頼の歴史を裏切ることなく、お客様からも仕入れ先からも、そして世の中の人からも感謝される「三方良し」の企業を目指しています。
- 津ノ国屋材木店の歩み
- 木材市場の動向
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津ノ国屋材木店の歩み
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木材市場の動向
- 1859
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1859年(安政6年)
開港に伴い、横浜市の人口は大幅に増加。住宅需要が拡大。
- 1868
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1868年(明治元年)
元号が慶応から明治に。
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1887年(明治20年)
初代・横山末太郎、大阪摂津の国から横浜の地に。津ノ国屋材木店を開業。
- 1887
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1900年代初頭
2代目・横山金太郎が跡を継ぐ。
- 1900
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明治後期~大正期
京浜工業地帯の埋め立てに伴い、基礎 杭を中心とした土木用材の販売を始め る。
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明治後期~大正期
京浜工業地帯の埋め立てが始まる。
- 1912
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1912年(大正元年)
元号が明治から大正に。
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1923年(大正12年)
関東大震災により社屋・倉庫・在庫全焼。復興需要に合わせ本牧にて製材工場稼働。
- 1923
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1923年(大正12年)〜
関東大震災の焼野原から復興する中、住宅建設も盛んになる。
- 1926
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1926年(昭和元年)
元号が大正から昭和に。
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1933年(昭和8年)
横山金太郎、39歳にて急逝。
妻フミの弟で当時番頭であった堀江政次郎を養子に迎え、3代目を継ぐ。 - 1933
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1945年(昭和20年)
横浜大空襲で、再び社屋・倉庫・在庫全焼。
- 1945
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1945年(昭和20年)
横浜大空襲
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1947年(昭和22年)
横山政次郎が法人化。
- 1947
- 1950
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1950年代
戦後復興に伴う好景気。
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1952年(昭和27年)
横浜連合木材市場内にて問屋業を始める。
- 1952
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1957年(昭和32年)
横山政次郎、44歳にて急逝。
妻・京子が代表取締役となる(4代目)。 - 1957
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1960年代
高度経済成長の流れを受け、金沢木材団地内に資材置き場を拡張。
- 1960
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1960年代
高度経済成長に伴う好景気。
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1984年(昭和59年)
横山和生が代表就任(5代目)。
- 1984
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1987年(昭和62年)
創業100年を迎える。
- 1987
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1980年代後半
バブル景気
- 1989
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1989年(平成元年)
元号が昭和から平成に。
- 2009
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2009年(昭和20年)
リーマンショックでゼネコン系の売り上げが半減に。建設関係・不動産関係を始める。
- 2011
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2011年(昭和20年)
東日本大震災
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2012年(平成24年)
横山孝行が代表就任(6代目)。
- 2012
- 2019
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2019年(令和元年)
元号が平成から令和に。
ロゴマークの由来
初代・横山末太郎が材木店を開業した際に、横山の「ヤマ」と末太郎の「ス」を取り、屋号を「ヤマス」としました。